4月7日より春アニメ『シェンムー・ジ・アニメーション』の配信が始まった。
原作は1999年から続くゲームシリーズ『シェンムー』であり、高校生の芭月涼が父の死の謎を追って地元である横須賀を旅立ち、中国を旅する長い物語が描かれている。
自分はアニメの制作が発表されてから今日まで、配信を指折り数えて待っていた。早速続けざまに3回視聴したので、その感想を語っていきたい。
・事件の前が描かれるアニメオリジナル要素
ゲームは冒頭から父が殺されるシーンが描かれていたが、アニメでは事件前の平和な光景を見ることができた。
芭月家が勢揃いし、涼を囲んで和やかなやりとりが交わされる。また、高校の友人達と涼との交流も描かれ、ヒロインである原崎望も登場する。
涼の人となりを表現すると同時に、主要キャラクターたちのお披露目も兼ねているのだろう。
実のところゲーム本編では涼は一切学校に行かなくなるため、高校生であるという印象が薄くもある。常に私服であるし、年齢よりも落ち着いた雰囲気がそう思わせているのかもしれない。
アニメで学友に囲まれる涼を見て、改めて彼がまだ18歳の少年であるということを再認識することになった。
涼といえば革ジャンにジーンズ姿というイメージが出来上がっているため、普段は学ランを着て横須賀高校に通っているのだろうと思うと、なんだか不思議な気分である。
・等身大のヒロインになった原崎
ゲームでは可憐な乙女という印象が強かったヒロインの原崎望だが、アニメでは表情豊かで、涼の前でお腹が鳴ってしまうなどちょっとドジなところもあり、等身大の少女になっていると感じた。
登場シーンも多く、ヒロインとしての存在感も増している。
彼女もゲーム中では私服姿だったため、セーラー服姿を見られたのは新鮮である。
・ふとん屋の存在感
商店街で原崎と会話しているシーンで、後ろに映っている商店の貼り紙は、原作ファンなら見逃せなかったはずである。
「洗える!ふとん」
原作には登場しないふとん屋の存在は、ある意味今回の最大の衝撃だったかもしれない。
ドブ板を第二の故郷のように感じている自分にとって、ゲームでの再現はとても気になるポイントであり、商店街のシーンは背景を見ることに忙しい場面となった。
他にも「スタジオ」という写真屋らしき店など、ゲーム本編よりも多くの店が存在しているようだ。
1999年からこれまでの間、ドブ板といえばこの並び、という常識をふとん屋の存在は打ち壊してくれた。多彩なシェンムーの世界をもっと見せてほしいと願わずにはいられない。
・涼の「願い」とは何なのか
アニメの冒頭とラストシーンで流れた「その者、東の遠つ国より……」から始まる少女の声で読まれる詩。
あれはゲームでも流れる詩である。伝説のような予言のような不思議な文章であり、『シェンムー』のこの先の展開を暗示しているものだと自分は考えている。
その中に「彼の願い かなえしことも」という一節がある。
自分は長い間、涼の願いとは父の敵討ち、つまり藍帝を倒すことなのだと思っていた。具体的にはその生命を奪うことだと考えていたのである。
だが、今回アニメ化されるにあたって、関連記事の多くでは『シェンムー』の物語について「父の死の謎を追う」といった表現をしていた。
実際に第1話を見ても、涼は父が殺された理由について繰り返し疑問を口にしており、復讐といったキーワードは出てこなかった。
ここに至って『シェンムー』は敵討ちの話ではなかったのかもしれない、と自分は思うようになった。
これには実はホッとしている。
正直、涼には敵討ちのためだろうが殺人などして欲しくなかったからである。
涼というキャラクターを長年見守り続けた結果、自分にとって彼はプレイヤーキャラというより、古くからの知人のような存在になっている。
彼には旅の終わりには、地元の横須賀に帰ってほしい。彼の帰りを喜ぶ人々に囲まれる、そのシーンが見たいのである。そして、穏やかな余生を送ってほしいとまで思っている。
それには、復讐という言葉は重すぎると感じていたのである。
ゲーム本編がどのような結末を迎えるのかは、今ではまだ分からない。だが、『シェンムー』が敵討ちの物語ではない可能性があるとすれば、それをぜひ歓迎したい。
原作ゲームについて紹介した記事はこちらである。
gameandbooknadonado.hatenablog.com
アニメ第1話の全体的な感想としては、アニメオリジナルシーンや、ゲーム本編の重要シーンをうまく繋ぎ合わせた構成など、かなり満足度が高い仕上がりであった。
第2話も楽しみである。第1話もまだまだ繰り返し視聴する予定だ。